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路上の狙撃者 SNIPER on the Road

¥1,000税込・店頭販売のみ
商品の状態
良い
この本がある棚:熊本地震チャリティ
この棚には、PASSAGEの棚主・スタッフの有志から寄付いただいた本を並べています。
本の売上は全額、熊本県または日本赤十字社を通じて、熊本の復興に役立てていただきます。(PASSAGE公式SNSにて売上金額含め報告… 棚の紹介を読む
商品の説明
佐竹南風:著/写真

父は私が子どもの頃、ほとんど家にいなかった。だから私は父のことを、"たまに来る変なおじさん"だと思っていた。父が外国から帰って来ると、家の中央にある八畳の和室が、訳の分からないお土産類で埋め尽くされる。それらが少しずつ減っていき、全てなくなる頃に、父もまたいなくなっていた。その繰り返しがいつもの事で、特に寂しいと感じたことはなかった。東南にある四畳半の角部屋が父の部屋だった。和室にもかかわらずアメリカナイズに改造されていて、押入れは襖を取り外され、レコードと本とがらくたで溢れ返り、奥には見たことのない国旗が掲げられていた。今思えばあれはアメリカ連合国の国旗であった。壁や棚には様々な種類の鍵の置物やバッチや帽子や写真などが所狭しと飾られ、私は父のいる時でもいない時でも部屋に入り込み、それらを手に取ったり見たりするのが好きだった。
父は時々私を自転車に乗せ、「知らないのまち〜」と言いながら、行く当てもなく連れ出した。その間父は何かを話す訳でもなく、私は後部座席のハンドルをしっかりと握り、目の前を流れていく知らない町の風景や、人や車や店の様子をただ黙って見ていた。何処まで行くのかなぁ…とぼんやり考えていると、いつの間にかきちんと家の前に戻って来るので、不意に驚いたりする。私が今でも意味なく路線バスに乗り込み、通り過ぎて行く景色を何の気なしに眺めているのが好きなのは、この頃の影響なのだと思う。
夏になるととうもろこしと枝豆を買ってきて茹でてくれた。塩を大量に振り、茹で加減もちょうど良い塩梅で、どちらもとても美味しかった。私は歯並びが悪く、どんなにきれいに食べようとしても、食べ終えたとうもろこしは必ず見るも無惨な格好になった。父は、粒を列ごと倒して食べるのが上手い上に異常に速く、芯だけになったとうもろこしは、ヘチマたわしのように整然としていて、私はいつも感心していた。
夜には寝入りばなに、兄と私の布団にやって来て「昔むかし、あるところに、旅人がいました…」という出だしで始まる作り話をしてくれた。この旅人はあちらこちらへ出かけるものの、すぐにとぐろを巻いた大物をしてしまう。低俗な兄と私は、ここで毎回悶絶必至の爆笑に見舞われることになる。その後の旅人の催す様々な擬音で更に抱腹絶倒してしまうため、旅は一向に進まなかった。以前、沢木耕太郎さんの『246』という本の中で、全く同じシチュエーションを目にして驚いた。あちらのお父さんもあまり家に帰れず、幼い娘さんのために夜、物語を即興で創り話し聞かせてあげるのだ。その内容のあまりの違いに、これが世に出る人と出ない人との差なのだ、と合点がいった。とぐろを巻いていては駄目なのだ。ちなみに沢木耕太郎さんは当時私が住んでいた吉祥寺の家に来たことがある。
小学校の運動会の時、和服を着流し雪駄を突っかけ、私のクラスの前にふらりと現れ「おぅ、やってるかぁ?」と声をかけて立ち去り、「スズキのとーちゃん、ヤクザみてー!!」と男子に叫ばれたこと、深夜まで私を連れたまま何処かへ出かけ、帰ったあと母にこっぴどく叱られたものの、私はその時に食べた『ピリカ』という店のラーメンが美味しかったから、そんなに怒らなくてもいいのに…と内心擁護したこと、「だんだん良くなる」と「枝ぶり枝ぶり」が口癖だったことなど、取り留めもなく浮かんでくる。この「枝ぶり枝ぶり」とは、つまり首を吊る木を探す、という冗談なのだが、私は当初意味が分からず母に尋ねると、笑いながら教えてくれた。
この夫婦は結局私が高校生の時に離婚するのだが、父が秋田に引っ込んだ後も、母は毎年夏になると遊びに行っていた。それは十数年前に父が謎の再婚をするまで続けられた。私が最後に父に会ったのは、もう十年以上も前だ。今も辛うじて生きているらしいが、このまま会わなくてもいいかな、と思っている。父の要素は間違いなく私に含まれていて、私が自分でいる限り、父と会っているのと同じことだからだ。