
この本がある棚:四月社
DIYスピリットで本を作るひとり出版社
An independent one-person publishing house that creates books with a DIY spirit
主宰・編集人 : 赤塚成人
Founder and Editor: Akatsuka Seijin
◉指針とする言葉 / Our C… 棚の紹介を読む
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商品の説明
渾身の写真集 ペリリュー・アンガウル戦80周年記念刊行
南洋パラオの玉砕戦を辛くも生き延びた元二等兵は
晩年この地に移り住み、「戦友の御霊」を守り抜いた
元読売新聞写真記者が語る、戦争を背負った男の鎮魂歌
◉ 本書「倉田洋二の南洋」より
少年時代から志を抱きはるばると渡った南洋の島を、多くの戦友が眠る南洋の島を、倉田は片時も忘れることはなかった。そして「戦友のそばに居たい、南洋に帰りたい」という思いを抑えきれず、ついに戦友の「墓守」としてパラオへの再移住を決断した。1996(平成8)年、69歳の時だった。
◉ペリリュー・アンガウル戦
1944(昭和19)年9月、日本統治時代の南洋パラオに米軍が侵攻し、日米決戦の舞台となった。米軍の圧倒的な武力を前に日本軍は終始劣勢を強いられ、山肌険しい陣地で持久戦を続けたが玉砕。ペリリュー島で1万人以上、アンガウル島で1,000人以上の日本兵が戦死し、生還者は両島併せて90人に満たなかった。アンガウル戦の生還者・倉田洋二は、ペリリュー戦の生還者・土田喜代一(1920-2018)と共に、この南洋の戦争を語り続けたが、土田は2018(平成30)年に、倉田もまた2019(令和1)年に逝去し、今この戦争の記憶を風化させないことが求められている。戦闘から80年を迎える2024年現在、両島の日本人戦没者の遺骨は6,980柱が今もなおパラオの地に埋もれ、故郷の墓に納骨されておらず、厚労省が日本戦没者遺骨収集推進協会に委託し、遺骨収集の現地調査が行われている。
◉戦争を背負った男、倉田洋二(1927-2019)
海洋生物が好きで南洋に憧れ、1941(昭和16)年、14歳の時に日本統治下のパラオへ移住。16歳で現地召集され、陸軍歩兵第59連隊(栃木県宇都宮より海外派兵)に配属。パラオ最南端アンガウル島の玉砕戦を辛くも生き延び、アメリカ本土の捕虜収容所で終戦を迎えた。戦後、東京都庁職員となりウミガメの放流ふ化事業を主導。小笠原水産センター、小笠原海洋センターの初代所長を歴任し、1978(昭和53)年退職。その後、JICAに派遣されて3年間、ミンドロワニの養殖を技術指導するためフィリピンに滞在した。1996(平成8)年、69歳にしてパラオに再び移住。アンガウル島で亡き戦友の追悼慰霊式をたったひとり催し、棄損される危機にあった「日本人戦没者慰霊公園」を生ある限り守り続けた。ウミガメ博士、海洋生物学者、小笠原諸島の自然を知り尽くした人物としても知られ、後年は環境活動家、水産学者、ダイビング愛好家らが「倉田詣で」に訪れた。編著に『小笠原 寫眞帳』『パラオ歴史探訪 倉田洋二と歩く南洋群島』『赤松俊子の描いた南洋群島』などがある。
◉著者 安斎 晃(あんざい あきら)
元読売新聞写真記者。1954年生まれ。1978~2019年読売新聞東京本社写真部、「週刊読売」編集部勤務。共著に『パラオ歴史探訪 倉田洋二と歩く南洋群島』(星和書店、2023年)、『赤松俊子の描いた南洋群島』(株式会社ニホンバレ、2020年)など。25年にわたり倉田洋二の晩年を取材し、その功績をまとめた本書が初の単著となる。
A4変横長判(縦222×横260ミリ)、糸かがり上製本、120ページ
ブックデザイン 三村漢(niwanowa office)
プリンティング・ディレクション 髙栁昇
印刷 東京印書館
南洋パラオの玉砕戦を辛くも生き延びた元二等兵は
晩年この地に移り住み、「戦友の御霊」を守り抜いた
元読売新聞写真記者が語る、戦争を背負った男の鎮魂歌
◉ 本書「倉田洋二の南洋」より
少年時代から志を抱きはるばると渡った南洋の島を、多くの戦友が眠る南洋の島を、倉田は片時も忘れることはなかった。そして「戦友のそばに居たい、南洋に帰りたい」という思いを抑えきれず、ついに戦友の「墓守」としてパラオへの再移住を決断した。1996(平成8)年、69歳の時だった。
◉ペリリュー・アンガウル戦
1944(昭和19)年9月、日本統治時代の南洋パラオに米軍が侵攻し、日米決戦の舞台となった。米軍の圧倒的な武力を前に日本軍は終始劣勢を強いられ、山肌険しい陣地で持久戦を続けたが玉砕。ペリリュー島で1万人以上、アンガウル島で1,000人以上の日本兵が戦死し、生還者は両島併せて90人に満たなかった。アンガウル戦の生還者・倉田洋二は、ペリリュー戦の生還者・土田喜代一(1920-2018)と共に、この南洋の戦争を語り続けたが、土田は2018(平成30)年に、倉田もまた2019(令和1)年に逝去し、今この戦争の記憶を風化させないことが求められている。戦闘から80年を迎える2024年現在、両島の日本人戦没者の遺骨は6,980柱が今もなおパラオの地に埋もれ、故郷の墓に納骨されておらず、厚労省が日本戦没者遺骨収集推進協会に委託し、遺骨収集の現地調査が行われている。
◉戦争を背負った男、倉田洋二(1927-2019)
海洋生物が好きで南洋に憧れ、1941(昭和16)年、14歳の時に日本統治下のパラオへ移住。16歳で現地召集され、陸軍歩兵第59連隊(栃木県宇都宮より海外派兵)に配属。パラオ最南端アンガウル島の玉砕戦を辛くも生き延び、アメリカ本土の捕虜収容所で終戦を迎えた。戦後、東京都庁職員となりウミガメの放流ふ化事業を主導。小笠原水産センター、小笠原海洋センターの初代所長を歴任し、1978(昭和53)年退職。その後、JICAに派遣されて3年間、ミンドロワニの養殖を技術指導するためフィリピンに滞在した。1996(平成8)年、69歳にしてパラオに再び移住。アンガウル島で亡き戦友の追悼慰霊式をたったひとり催し、棄損される危機にあった「日本人戦没者慰霊公園」を生ある限り守り続けた。ウミガメ博士、海洋生物学者、小笠原諸島の自然を知り尽くした人物としても知られ、後年は環境活動家、水産学者、ダイビング愛好家らが「倉田詣で」に訪れた。編著に『小笠原 寫眞帳』『パラオ歴史探訪 倉田洋二と歩く南洋群島』『赤松俊子の描いた南洋群島』などがある。
◉著者 安斎 晃(あんざい あきら)
元読売新聞写真記者。1954年生まれ。1978~2019年読売新聞東京本社写真部、「週刊読売」編集部勤務。共著に『パラオ歴史探訪 倉田洋二と歩く南洋群島』(星和書店、2023年)、『赤松俊子の描いた南洋群島』(株式会社ニホンバレ、2020年)など。25年にわたり倉田洋二の晩年を取材し、その功績をまとめた本書が初の単著となる。
A4変横長判(縦222×横260ミリ)、糸かがり上製本、120ページ
ブックデザイン 三村漢(niwanowa office)
プリンティング・ディレクション 髙栁昇
印刷 東京印書館
¥{{ new Intl.NumberFormat('ja-JP').format(item.price) }}税込・送料別店頭販売のみ
商品の説明
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在庫がある場合はご注文後、4営業日以内に発送いたします。
別途送料(全国一律)がかかります。
※ 住所を入力しても送料が取得できない場合はこちらをご覧ください。
・A4・厚さ3cm以内の商品:¥350
・上記以外の「レターパックプラス」に入る商品:¥700
・上記以外の「ゆうパック60サイズ」の商品:¥1,100
・上記以外の「ゆうパック80サイズ」の商品:¥1,330
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※ 店舗でも販売しているため在庫切れになる場合がございます。
※ 返品ポリシーなどは「特定商取引法に基づく表示」をご覧ください。
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